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塾の活動紹介

第12回「子規さん俳句書道展」のご案内

今展は、明治28年の子規の俳句や関連する言葉を作品にし、展示しております。
明治28年の子規は、蕪村の発句を意識しながら「写生」を導入することによって独自性を出し、「俳句革新」を成し遂げました。この年子規は、めまぐるしく移動し、身辺に変化の多い年でしたが作句数は2千八百九十句にも及びました。

子規は日清戦争の従軍記者として、中国に渡り、その帰途、船中で大喀血。神戸病院へ入院、須磨で養生、その後松山へ帰郷しました。帰郷した子規は、漱石の下宿「愚陀仏庵」で52日間も居候しました。その間、松山の俳人たちが集う松風会の人達と運座を開くなど、俳句の指導をしました。漱石も参加をしております。
体調のいい時、子規は、郊外で散策をしながら句を詠みました。このときの俳句を『散策集』にまとめました。
又、子規は確固たる俳句観を伺わせる俳論「俳諧大要」を執筆しました。「俳句革新」はこの考えが基底となっております。子規にとって最後の松山で大きな仕事を成し遂げました。

これらの関連から、子供たちが「共同作品」や「子規の喀血」、「子規と日清戦争」、「俳諧大要」の冒頭にある「俳句は文学なり」など、大きい紙に表現しております。特に「共同作品」は、小学4年の二人が「松山の子規と漱石」と題して、作品制作しました。
又、散策集の中から、「松山の城をのせたり稲むしろ」「草の花少しありけば道後なり」「牛行くや毘沙門阪の秋の暮」「色里や十歩はなれて秋の風」などの俳句を作品にしております。

子規は喀血によって、病床生活を余儀なくされながらも新しいことへ挑戦し続けています。明治28年は子規にとって次へのステップの足がかりとなる重要な年であったといえます。
この展示作品をご覧いただき、そんな子規の姿を心に刻んでいただければと思います。

会  期 : 2月5日(日)〜3月11日(土)(火曜日は休館日)
開館時間 : 9時 〜 17時 (最終日は16時まで)
会  場 : 松山市子規記念博物館 1Fロビー

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